ヨガ・リトリートin益子
静けさと至福に集中する1泊2日プログラム
10月18日(土)、19日(日)開催決定
詳細はコチラ⇒ http://www.oasis-pure.com/event/index.html
新緑美しい初夏の5月末に開催しましたヨガ・リトリートプログラム。
環境に恵まれた中で
ヨガを通して様々な自分の側面を発見することが出来た素晴らしいプログラムとなりました。
夜明け前のサイレントウォーク。
ご来光をマントラと共に向かえ、
シロツメクサが咲き誇る緑の中でのヨガ。
アートワークでは、瞑想的な気づきも起こりました。
この秋
再び、初冬に向けてのヨガ・リトリート開催します。
初夏とは違い、今度は冬に向けて
肉体も精神も内側への旅が始まります。
その準備を兼ねてのリトリート。
季節も環境も初夏とはずいぶん様相が違います。
人間の肉体も同じ。
季節の移り変わりのように、
人間の肉体も相応に変化させていきたいものです。
ストレスなどで肉体も精神も気づかずに溜め込んでいるものが
たくさんあります。
身体を解放していくと、
大変たくさんの気づきが起こります。
時には、それが体調に現れたり、感情に現れたり…
ひとり静かに、情報源も最小限に、自分のために過ごす1泊2日です。
この女性は無農薬のリンゴで命をとりとめたという話が出てくる。
それが木村さんのリンゴ。
映画を見ていると、
木村さんのリンゴを皮を剥いて、薄く切って食べるシーンが出てくる。
無農薬のリンゴなら皮からガブッといけるんじゃないか?
なんで皮剥くの?
そんな質問が出るらしい。
実は、化学物質過敏症の人たちは歯医者に行けない。
歯医者さんの前を通るだけで具合が悪くなるそうだ。
そりゃそうだ。
救急車にも乗れない。病院にも行けないのだから。
化学薬品で一杯なのだから。
過敏症の人にしてみたら、治しに行くのではなく、
「死」に向かっていくようなもの。
ケガをしても、やけどをしても、ビワの葉で治していたのが印象的だった。
そういう訳で、歯の悪い人が多いらしい。
私たちが全く普通に生活している中で、
普通だと思っていることにこれほど身体が反応してしまう人たちがいること、
そうしてしまったのは他でもなく人間なんだということ、
こういう人たちがいることによって、初めて知る事実。
改めて、こんなになってしまった地球になにが出来るんだろうと考えてしまった。
是非、多くの人に見てもらいたいドキュメンタリー映画です。
《いのちの林檎》
公式サイト-世界で初めての化学物質過敏症を描いたドキュメンタリー
あれ?ちょっと待て
今まで私たちが提言してきたことと違うじゃないの!?
この人たちがそんなこと言うなんて。
しかしながら、良く良く聞いてみると、
「ブレる、と言うよりもバスケットで言うピボット。」
「でも軸足がしっかりしていないと出来ないですよね」
「そうなんですよ。軸足がブレるとトラヴェリングで反則になっちゃう」
※ピボットとは、味方にパスをするために軸足をキープしながら四方八方に向きを変えること。
本当にこれだと思いましたね。
そうなんです。
軸を保つ、って大事だと思っていたし、軸作りもしっかりしていかないといけないと思っていたけれど、
良いパス(チャンスなど)を出す(出会う)為に、やっぱりしっかりした軸足を持ちながら、柔軟に色んな方向を見ていく必要性が問われてきている時期だなぁと思うんですよね。
いやいや、ただインフルエンザに侵されていただけでなく、
ちゃんとメッセージもらった気がする年末年始でございました
今年は新たな形でワクワクしたものをお届け出来るPUREでありたいと思っています
今年もどうぞ宜しくお願い致します
あなたが生活のために何をしているかはどうでもいいことです。
私はあなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。
あなたが何歳かということも関係ないことです。
あなたが愛や夢や冒険のためにどれだけ自分を賭けることができるか知りたいのです。
あなたがどの星座に生まれたかということもどうでもいいことです。
あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、
それによって傷つくのが怖いばかりに心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。
また、喜びの時は、それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から喜び、
夢中になって踊り、恍惚感に全身を委ねることが出来るのかを知りたいのです。
気をつけろとか、現実的になれとか、大したことはないさ、などとは言わずに。
私はあなたの話すことが本当かどうかには関心がありません。
私はあなたが自分自身に正直であるためには、他人を失望させることでさえ、あえてすることが出来るかどうかを知りたいのです。
たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりは
その非難に耐える方を選ぶことができるかどうかを。
たとえ不実だと言われても、そんなときにあなたがどうするかによって、
あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。
私はあなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。
それが見た目に美しく見えない時でも、
毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。
私はたとえ失敗しても、それを受け止めてともに生きることが出来るかどうか、
それでも湖の淵に立ち、銀色に輝く満月に向かってイエスと叫ぶことが出来るかどうかを知りたいのです。
あなたがどこに住んでいるか、どれだけお金があるかはどうでもいいことです。
それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てていても、
また朝が来れば起き上がり、
子供たちを食べさせるためにしなければならないことをするかどうかを知りたいのです。
あなたが誰を知っているのか、あなたがどうしてここに来たのかは関係ありません。
私とともに決してひるまずに炎の只中に立つことが出来るかどうかが知りたいのです。
あなたがどこで、何を、誰と勉強したかどうかはどうでもいいことです。
私が知りたいのは、皆が見捨てた一人になった時、
あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。
私はあなたが自分自身としっかり向き合い、その何もない時間の中にいる自分を
心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。
オライア・マウンテン・ドリーマー(ネイティブ・アメリカンの長老)『招待』